皆さん、こんにちはトドお父さんです。

GWに突入したけど、なにも予定がないトドお父さん。

さぁ、なにをしましょうか? 叫び

 

まずは、2月末~3月に訪ねた神社のレポをします。

昨年から再燃している、九州王朝説の史跡を訪ねるマイブームの第一弾です。

 

九州王朝説の情報を仕入れに小郡の図書館へ。 こんな本を借りてきましたよ。チュー

記紀九州 創刊号―古事記・日本書紀からひも解く九州王朝説 九州から見直す日本の歴史!!

¥648 ゲナです。

 

なんでも、マンガも駆使して若い人に九州王朝説を、ひいては古代史に興味を持ってもらおうという

企画のようですが、残念ながら2号まででストップしているようです。

 

この本の中で、家具の街 大川にある 風浪宮を取り上げています。

地元では風浪さん と親しまれている風浪宮、どんな神社なんでしょうか?

 

風浪宮のホームページ

 

2月末に二男のナオの合格祈願も兼ねて行ってきましたよ、風浪宮。

小郡から、筑後川にでて、筑後川ゴルフコース横の堤防を走ると信号もなく、快適なドライブです。

そのまま進んで、吊り橋のところで対岸に渡ると、40分くらいで現地に到着しました。

こないだ、交換したパイオニアのナビがいい働きをしますね。 コスパ高いです。 チュー 

 

道の反対側に大きな公園があり、クルマは簡単に止められました。

 

 いわれが書いてます。

 こちらにも謂れが

いわれが書いてあります。

やっぱり、神功皇后つながりなんですね、九州王朝関連の神社。

三韓征伐に行った帰りに、白鷺が飛んできて戦勝を祝った謂れから、この神社が始まったとのこと。

詳しくは、下の大川市観光協会のHPを見て下さいね。

 

大川観光協会 HP 風浪宮

その歴史は古く、今からさかのぼること約1800年前のこと。神功皇后が新羅外征からの帰途、筑後葦原の津(現在の大川市の榎津)に寄せた際、皇后の乗った船の近くに白鷺がこつ然と現われ、東北の方角に飛び去りました。皇后は、この白鷺こそ勝運の道を開いた少童命(わだつみのみこと)の化身であるとして、白鷺の止まった所にお社を建てたのが起源だと言われています。

 

 いつもの狛犬、左側

 こちらは右側

いつもの狛犬くんたち。

中:ひもろぎ逍遥さんより

”かわいい狛犬と思ったら、大川出身の陣内孝則家の奉納でした。”  びっくり

陣内さん、こないだ地元のTVにでてましたね。

西南大学OBとのことで、西新をさるいとんしゃって蜂楽まんじゅうを食べてました。 プンプン

 

さて、閑話休題:

 

 本殿です。

神社です。 立派です。

 

 頭の上に方位が示されてます

本堂(って呼んでいいのでしょうか?)の右に立派な木像が! 何なんでしょうか?

拝殿、ですね。

 

古代史人気ブログ ひもろぎ逍遥さんより

 

御由緒 称号 風浪宮
縁起
神功皇后の三韓御親征のみぎり、少童命の御神徳による開運と航海安全の御加護とを多として、皇后の勅命により時の海上指揮を仕え奉った阿曇磯良丸をして少童命を祀らしめ、承和年間に左右三神を配して、風浪大権現、風浪将軍、のちに風浪宮と称号す。
祭神 住吉大神 息長足姫命 少童命 高良玉垂命
 

 

と書かれています。

この方が、阿曇磯良丸 さんなんですね。 先の記紀九州によると、磯良丸さんが向いている方向は、遠く志賀島にある、志賀海神社とのことです。 びっくり

おなじ、海の一族として、筑後の風浪宮と、博多の鬼門の方向、北東の位置に当たる志賀島の志賀海神社が同族とは興味深いですね。

 

 おじゃる丸の時代より古い

 

白鷺が止まったとされる、ご神木の楠(くすのき) (樹齢推定2000年とのこと)

パワースポットで神々しいです。

 

記紀九州さんにいい神社を紹介してもらいました。

大川市、今の時期なら名物のエツ料理も食べれますし、手前の黒田の富松うなぎも有名です。

天気がいいときに、ふらっと出かけてみてはいかがでしょうか?

 

ストレスにあふれる現代から離れて、古代史のロマンに触れるのも、たまにはいいと思いますよ。

それでは、まったねー キョロキョロ チュー

 

 

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