昨日は、地元 小郡市とおとなりの鳥栖市、基山町と合同で行われた、「小郡ー鳥栖 歴史散歩」に参加してきました。
いつもの古代の歴史フィールドワークではなく、どちらかというと地元の近代の歴史をターゲットに史跡を巡るというものでした。
まず小郡市役所よこの東町公園に集合、いつもより多い80人くらいの参加者があり、5グループに分かれて9時からスタートします。
ボランティアさんも小郡、鳥栖、基山から各2名ずつ来られて、結構大所帯のグループになりました。
最初に、江戸時代に櫨(はぜ)で財を成した内山伊吉さんと明治時代にやはり木蝋業で財を成した平田家の立派な住宅とお庭の紹介がありました。ただ今、ひな祭りを公開中です。
小郡市の人口はこのころたった4千人。
町も上町・中町・下町の3つの区画のみで、新たに新町ができた
ような状態で、湿地や沼がおおく田んぼには適していなかった由。
明治から大正時代に、東野池をはじめとする土木事業が行われてようやく農業や商業が盛んになってきたとのこと。
ボランティアのTさんが、下町の古い協和病院の前を通りかかる時、とつとつと、
「ここで3月10日の太刀洗空襲の時に、B29が日本軍の戦闘機の体当たりで墜落したのを目撃した」との生々しいコメントが。
「B29の機首はいまカラオケイエローがあるあたりに墜落、尾部はこの協和病院付近にあった防空壕に墜落し、避難していた住人が亡くなった。半島から来た方で、アイゴー、アイゴーと泣いていた。機体のなかでは米軍の7人(内一人は女性)が死んでいた」「 日本軍(太刀洗平和祈念館の資料によると多分屠龍)の操縦士も今から行く秋光川の橋のあたりで救助されたが、病院でなくなった」との由。思わぬ重たい証言で次の言葉を失いました。
歴史の生き証人の方が、こんな身近にいて話をして頂けるとは、本当に縁は異なものですね。
【閑話休題】
国道500号線には中央軌道という、田代と太刀洗飛行場ー三輪町を結ぶ小規模汽車路線があったという事も初めて知りました。 甘木線ができたため利用者が少なく、廃線になった由
その後は、楽しい神社と長崎街道めぐり
小郡の日吉神社を皮きりに、路中の地元の神社に続いて鳥栖の田代昌町道祖神社を訪問しました。
長崎街道沿いの田代神社は有名なのですが、こちらは知りませんでした。
長崎街道は、このあたりは鮮明に当時のまま残っており、道が交差する時点で行き先を示す追分石
と大宰府への古代官道を示す宰府道道標を案内してもらいました。
追分石です小郡に向かう英彦山道
最後は、剣塚古墳を経由して九州高速道を渡ってJR弥生が丘駅でゴール。
約6kmの道のりで結構疲れましたが、地元のトリビアが知れて面白かったです。
特に、なんで鳥栖の一部と基山が対馬藩の領地だったのか?がわかりました。
運動不足のいい運動にもなりました。
また、次も参加したいと思います。
ボランティアの皆さん、ありがとうございました!
参加者の皆さんもお疲れさまでした!